お久しぶりでございます。
これからまた、気が向いたときに気が向いたことを書き綴っていこうかなと思います。
1月末に父が他界しました。
僕にとって親父は、父親と兄の中間のような存在でした。
一人っ子ということで、周囲から兄弟がいなくて寂しくない?とよく尋ねられてきたけど、小さい頃、親父が兄のように接してくれていたので、兄弟が欲しいとも兄弟がいなくて寂しいとも感じたことはありませんでした。
兄弟がいない自分を気遣って兄のように接してくれていると思ったこともあったけど、僕自身が成長するにつれて、ひょっとしてこの人単に精神年齢が低いだけか?と思ってしまうこともしばしばありました。
金銭感覚の欠片もなく、協調性の欠片もなく、社交性の欠片もなく、これまで養ってもらって、なおかつ社会人としての道をやや踏み外している自分がこんなこと言える立場ではないかもしれないけど、この人、大人として大丈夫なのかと感じることもありました。
将来の事を考えるよりも今やりたい事をやって楽しみたい事を楽しみたい、何も考えていないようで束縛が嫌いで気ままで、やっぱり親子か、と思うところも結構あったんですが。
社会人としてはよく分らない人だったけど、父親としては僕にとっては理想的な父でした。
モンパチの「夢叶う」という歌の歌詞に〜親が子の道つくりすぎて 夢持つ事忘れた子〜という一節があります。
親父はこの歌詞のような親とは180°真逆にいる人で、僕の道を作ろうとはしなかったけど、僕の夢の後押しは常にしてくれる父親でした。
29歳で仕事を辞めて自転車でユーラシア大陸を横断すると言った時も、周りにひいてる人たちが多いなか親父は一貫して「行きたければ行ってこい、やりたいことをやってこい」と言ってくれました。
病魔に冒されても、親父は最後の最後まで良くも悪くも自分らしく生き抜きました。
親父がお世話になっていた会社の人にも、本当にあの人らしいね、と言われる最後でした。
僕は特定の宗教は信じていないけど、前世、現世、来世、輪廻転生の思想は信じています。
現世で親子という縁があったから、きっと来世でもまた縁あって会えると信じています。
親子なのか、夫婦なのか、恋人なのか、友人なのか、お互いどういった存在で再会するかは分らないけど、親父に来世で会えることを楽しみにしています。
「See you in the next life! (来世で会おうぜ!)」
最後に、親父の闘病中からここにくるまで、僕自身、友人知人に支えられてきました。
様々な友人や職場の人に気遣っていただき、感謝しています。
心の底から、ありがとうございました。