おかしいとは思っていたんです。
ビシュケクやドバイに居る時、何度か日本の家族と電話のやりとりをしたけどいまいち話がかみ合わない。
なんでだろう?と。
それに加えて、もう一つ不思議に思うことがありました。
成田空港から救急車で東京の病院に搬送される際、空港を出る前に救急車のおっちゃんが病院にこれから向いますと連絡をいれて携帯を切った後、
「看護師、20時までに来いって言うんですよ。20時は難しいって言ったら、じゃあ鳴らしてでも(サイレンを)20時に来いって、どう思います?」
と不機嫌そうに愚痴られました。
どう思うって言われても、東京の土地鑑が全くないんで空港から病院までどれくらい時間が掛かるか見当もつかないし、こういう場合サイレンを鳴らして走るべきなのかどうかもよく分からんし。
「なんか大変ですね。急いで事故起こすよりは、安全運転でお願いしますよ」
と答えたものの、おっちゃんは看護師さんに対してよほどカチンときたみたいで、
「ぜったい、看護師が早く帰りたいからあんな無茶苦茶言うんですよ。ぜったいそうですよ」。
そんなおっちゃんの愚痴を聞いてて、やる気のない学生のバイトじゃあるまいし、早く帰りたいからサイレン鳴らして早く来いなんて言う看護師いないだろ。
でも、当たり前のことだけどサイレン鳴らして緊急走行するのは緊急時のみで、自分がそれに当てはまるとも思えんし、病院の人は何をそんなにせかしてるんだろ?という疑問も。
そんな疑問も病院に到着したら全て解決しました。
東京の病院に運び込まれ、ストレッチャーの上で上半身を起こし挙動不審な僕の姿を見てその場にいた医師も看護師も不思議そうな表情で、
「体、起こして大丈夫ですか?」
「横にならなくていいんですか?」
「意外に元気そうですね」
と声を掛けてきました。
意外に元気そうっていうのも失礼な気がするけど、それにしてもみなさん、変な目で見てくるし、この空気はなに?となんか居心地悪い思いをしているところで、付添いのドクターが病院の医師に怪我の症状を説明してくれました。
それを聞いて病院の医師も何かを納得したみたいで、ドクターとの引き継ぎが終わった後、病院の事情を教えてくれました。
今回、僕の怪我の症状は現地の病院からまず保険会社のパリ支社に報告されていました。
キルギスには僕が加入していた保険会社の現地オフィスがないため、中央アジアを統括していたのがパリ支社だったんです。
そのため最初はパリ支社へ報告がいき、次に東京本社。
東京本社から日本の家族や病院に連絡がいっていたそうなんです。
この連絡過程で、伝言ゲーム的ミスが発生。
ビシュケクでもドバイでも、診断結果は重症といえる箇所は腰の骨折のみ。
それも複雑骨折ではないし、神経も問題ないから安静にしていれば2週間で退院、2カ月で完治。
ドバイの病院では、日本へ帰国したら入院の必要もないし、通院する必要もないんではないか。
フランス人の付添いのドクターにも、日本で入院する必要はないし、リハビリも病院でやる段階はクリアしてるから帰国したら病院に行かなくてもいいと思う。
と言われていました。
ところが伝言ゲームの終着点、日本の家族と病院には僕の状態、
「脳挫傷、それから背骨と腰に骨折があり、身動きが取れず大変危険な状態」
と伝わっていたそうです。
そのため、病院ではドバイからこんな重症患者が運ばれてくる!という病院創設以来、最大級のイベント、そんなノリで僕の受け入れ準備をしていたそうです。
この話を聞くまでは、なんか感じ悪い病院だなって思っていたのが一転、僕は悪くないと自分に言いきかせつつ、意外に元気で本当にすいませんと謝りたくなりました。
そんなノリで受け入れ準備をしていただけあり、病院内で僕の存在は局地的に有名になっていました。
病室に運ばれた後、入院手続きや病院の案内などのために入れ替わりやってくる看護師さんにはそのつど、
「あの、ドバイの人ですよね?」
「ドバイで仕事してるんですか?」
「ドバイから来たんですよね?」
こんな感じで、すでに「ドバイの人」としてのイメージが定着していました。
「あの病室の患者さん、メチャメチャかっこいい!」と若い女性看護師さんの間で噂になるなら国や地域に関係なく、噂、サイコー!と思います。
でも、ビシュケクの病院ではセックスの勉強してると言われ、ドバイの病院ではイラクから来た、アフガニスタンから来たと言われ、東京の病院ではドバイの人と言われ、なんでこんな噂しか…?